半ばを過ぎ今日日中は気温も結構上がった様だ。この冬は軍用ジャケット
ライナー付きを着まわして過ごしたが特に午後はライナー等いらない位だっ
た様に思う。明日の最高気温の予想は18度ということで、そろそろ1着はライ
ナー外しておこうか・・等と考えているところだ。
さて、昨日火曜前半の稽古には普段土曜日しか来ない子も参加してくれたり
とまずまずの集まり。後半はこれまた全くいつも通りの超少数精鋭での稽古。
時間が限られているので休憩は挟まず淡々と出来る限り予定していた稽古
メニューをとにかく精一杯こなした。今回もとても良い稽古になった。
春めいて来ると平成5年4月3日入門の俺としては、やっぱり空手を始めた当初
の若かりし頃のことをあれこれ思い出すことが多い。あれから間も無く丸23年。
当たり前ながら本当に色々なことがあった。そんなこんなの思い出の中から、
今日は初めて組手に参加した頃のことをちょっと書いてみようと思う。
当時は大体入門して3箇月は基本・移動・型・補強のみで組手の時間は見学に
なった。とは言え毎回補強のジャンピングスクワットは70~100回は必ずやる日
が多かったため、移動稽古の後位には大体軽くめまいを起こしている位の消耗
度合いのことが多く、見学に回ることには全く何の不満も持たなかった。
ちなみに当時は先生や色帯の先輩達に白帯が気軽に話しかける何てのは論外
・・・みたいな雰囲気が有り、話すとしても入門時期の近い白帯同士がこそこそっ
と話す位が多かった。そんな中、俺はとにかく出来るだけ休まず稽古に出席する
ことを第一目標にしていたので、なぜかたまたま年代の近かった先生から話しか
けて頂けることが多くてうれしかったことを思い出す。
そんな俺が初めて組手に参加したのは確か6月初め頃。普通の人よりやや早めに
組手参加を果たし内心ちょっとうれしさがあった。ちなみに当時は今の様に通販等
で簡単にサポーター類が手に入らず、先生から決められたサポーターのセットを頂
き購入するシステムだったと思う。
大体組手前に簡単な受け返し的なことを全員回りながら何人かの人と行った後
いよいよ組手になる。確か初参加の日は土曜日で、通常なら全員回っての組手
の後、一組ずつ前に出されての組手等もあるのだが、土曜日はそれを行わない
ことが多く、回りながら3人位の色帯の先輩と初めての組手をした。
拳法をしていた時もごくごく軽い組手をしてはいたのだが、その頃のやり方は手で
顔面も狙っても良いもののどの部位への攻撃もダメージになる程の強さでは当て
ない様に・・みたいな暗黙の了解があったので、本当に痛い攻撃を体で受けるのは
この日が初めてだった。
その3人の先輩との組手で両足腿は腫れあがり、確か脇腹もろっ骨にひびが入る
位痛めたと思う。痛さ怖さは勿論だが「こんなに強く当てても良いんだ」みたいな
不思議な感動もあった。
その頃は今の様な「軽い目ならし」「スパーリング」という概念は余り無く、とにかく
ガチガチの組手が多かった。勿論当たる人によってその内容は随分違っていたが・・。
帯上の強い先輩程、余りガチガチやらずにこっちの攻撃を受けたりさばいたりしながら
余裕を持って相手をしてくれていた様に思う。たまに当たる先生との組手は恐怖以外の
何物でもなかったが・・。
近年道場内では選手稽古等を除けばガチガチやることは滅多に無い。多分うち以外の
フルコンタクトの道場でも同様と思う。補強運動も昔の様に無茶苦茶やったりはしない。
先輩達とも全然気兼ねせず最初から普通に話が出来る様になった。本当に良いことだと
思う。
全員では無いにしろ「どうだ俺の攻撃は受けられまい」みたいな人もいて、組手がその
人の威厳を守るために使われていた様な部分も一部ではあったので、そうした悪習が
無くなったことは本当に良かったと思う。
当時「空手は他武道に比べて何十年も遅れている」等ということが言われていた部分
があったが近年は俺が入門したころに比べればかなり安全にマイペースで稽古に参
加することが可能になったと思う。
その一因としてはやはり道場団体の増が上げられるだろう。ここ会津にも今ではフルコ
ンタクト空手の団体は凄い数がある。
優しくて丁寧というだけでは無く、確実に空手の実力が身に着けられる団体として見て
貰えるということは捨て置けないこと。そういう面でも日々頑張って行かないといけない。
ライナー付きを着まわして過ごしたが特に午後はライナー等いらない位だっ
た様に思う。明日の最高気温の予想は18度ということで、そろそろ1着はライ
ナー外しておこうか・・等と考えているところだ。
さて、昨日火曜前半の稽古には普段土曜日しか来ない子も参加してくれたり
とまずまずの集まり。後半はこれまた全くいつも通りの超少数精鋭での稽古。
時間が限られているので休憩は挟まず淡々と出来る限り予定していた稽古
メニューをとにかく精一杯こなした。今回もとても良い稽古になった。
春めいて来ると平成5年4月3日入門の俺としては、やっぱり空手を始めた当初
の若かりし頃のことをあれこれ思い出すことが多い。あれから間も無く丸23年。
当たり前ながら本当に色々なことがあった。そんなこんなの思い出の中から、
今日は初めて組手に参加した頃のことをちょっと書いてみようと思う。
当時は大体入門して3箇月は基本・移動・型・補強のみで組手の時間は見学に
なった。とは言え毎回補強のジャンピングスクワットは70~100回は必ずやる日
が多かったため、移動稽古の後位には大体軽くめまいを起こしている位の消耗
度合いのことが多く、見学に回ることには全く何の不満も持たなかった。
ちなみに当時は先生や色帯の先輩達に白帯が気軽に話しかける何てのは論外
・・・みたいな雰囲気が有り、話すとしても入門時期の近い白帯同士がこそこそっ
と話す位が多かった。そんな中、俺はとにかく出来るだけ休まず稽古に出席する
ことを第一目標にしていたので、なぜかたまたま年代の近かった先生から話しか
けて頂けることが多くてうれしかったことを思い出す。
そんな俺が初めて組手に参加したのは確か6月初め頃。普通の人よりやや早めに
組手参加を果たし内心ちょっとうれしさがあった。ちなみに当時は今の様に通販等
で簡単にサポーター類が手に入らず、先生から決められたサポーターのセットを頂
き購入するシステムだったと思う。
大体組手前に簡単な受け返し的なことを全員回りながら何人かの人と行った後
いよいよ組手になる。確か初参加の日は土曜日で、通常なら全員回っての組手
の後、一組ずつ前に出されての組手等もあるのだが、土曜日はそれを行わない
ことが多く、回りながら3人位の色帯の先輩と初めての組手をした。
拳法をしていた時もごくごく軽い組手をしてはいたのだが、その頃のやり方は手で
顔面も狙っても良いもののどの部位への攻撃もダメージになる程の強さでは当て
ない様に・・みたいな暗黙の了解があったので、本当に痛い攻撃を体で受けるのは
この日が初めてだった。
その3人の先輩との組手で両足腿は腫れあがり、確か脇腹もろっ骨にひびが入る
位痛めたと思う。痛さ怖さは勿論だが「こんなに強く当てても良いんだ」みたいな
不思議な感動もあった。
その頃は今の様な「軽い目ならし」「スパーリング」という概念は余り無く、とにかく
ガチガチの組手が多かった。勿論当たる人によってその内容は随分違っていたが・・。
帯上の強い先輩程、余りガチガチやらずにこっちの攻撃を受けたりさばいたりしながら
余裕を持って相手をしてくれていた様に思う。たまに当たる先生との組手は恐怖以外の
何物でもなかったが・・。
近年道場内では選手稽古等を除けばガチガチやることは滅多に無い。多分うち以外の
フルコンタクトの道場でも同様と思う。補強運動も昔の様に無茶苦茶やったりはしない。
先輩達とも全然気兼ねせず最初から普通に話が出来る様になった。本当に良いことだと
思う。
全員では無いにしろ「どうだ俺の攻撃は受けられまい」みたいな人もいて、組手がその
人の威厳を守るために使われていた様な部分も一部ではあったので、そうした悪習が
無くなったことは本当に良かったと思う。
当時「空手は他武道に比べて何十年も遅れている」等ということが言われていた部分
があったが近年は俺が入門したころに比べればかなり安全にマイペースで稽古に参
加することが可能になったと思う。
その一因としてはやはり道場団体の増が上げられるだろう。ここ会津にも今ではフルコ
ンタクト空手の団体は凄い数がある。
優しくて丁寧というだけでは無く、確実に空手の実力が身に着けられる団体として見て
貰えるということは捨て置けないこと。そういう面でも日々頑張って行かないといけない。
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