後半に入った。相変わらず会津では無く郡山か福島にいるみたいだ。
今夜以降急激に発達する低気圧の影響で関東地方も含め日本海側
も大雪になるので警戒する様にという話も出ているが、関東方面で
雪の時って会津や日本海側は大して降らないことが多いんだよな。
果たしてどうなることやら・・。
昨日は土曜日の稽古。雪が無いとはいえ寒中でもあり寒いことは寒い。
ということで空手道場という所はやはり暑くても寒くても即出席人数に
影響する様で参加者は今回もやや少なめ。とは言え以前の体育館時代
とは異なり、暖房の使えるコミセンは快適そのもので本当に助かる。何し
ろ多分一番寒さに弱いだろう俺は本当に助かっている。コミセンにしてか
らは道着の下には冬でもアンダーウェア何か着た事無いもんね。
さて、新極真会で普通に空手をやっていると、まず審査で帯色を上げて
行くことが目標になり、それと並行して各部門年代別に行われている試合
等への挑戦が主な目標になって行くのが普通だと思う。
自分達が日々稽古している手による顔面攻撃無しのフルコンタクト空手で
も当然上達のためには様々な技術の習得と並行して日々様々鍛錬が必要
な訳で、当たり前だがやることは際限なくあり本当にキリがない。
新極真会の空手はその源に松濤館流と剛柔流という空手や大東流合気
柔術、そしてムエタイの技術なども含まれている様なのだが、実は本土に
伝わる以前の元々の空手には独特の「術理」というものが存在しており、
近年フルコンタクト空手界で長年活躍した超有名選手や他の格闘技で選手
として活躍した人等が引退後そうした本来の空手の術理を学び自身の技術
の幅を広げている例がとても多い様だ。
我が道場の三瓶師範もおそらくは様々な古武道等も学ばれ、ご自身の長年
の経験等も踏まえ独自の身体操作法を編み出された一人だ。
フルコンタクト空手の鍛錬はどちらかと言うとスポーツ競技に近い形の鍛錬
が有効な場合が多いと思うが、もう一段上がるためにはこうした「術理」の
習得もやはり不可欠なのだと思う。
とある武道の有名な師範がそうした術理を踏まえながらも晩年まで武道的な
自身独自の20数種類もの鍛錬を日々欠かさなかったという話も本で読んだ
ことがあったし、ここにも過去に書いたかもしれないが・・・。
何しろ空手を続ける限り、どう転んでもいつまでたったもやることは際限なく
あるものなんだよね。
晩年大山総裁がテレビ番組出演の際の受け答えの中で「極める等ということ
は有り得ないよキミィ」と話していたことを思い出す。それはきっと本心から出た
言葉だったに違いない。
今夜以降急激に発達する低気圧の影響で関東地方も含め日本海側
も大雪になるので警戒する様にという話も出ているが、関東方面で
雪の時って会津や日本海側は大して降らないことが多いんだよな。
果たしてどうなることやら・・。
昨日は土曜日の稽古。雪が無いとはいえ寒中でもあり寒いことは寒い。
ということで空手道場という所はやはり暑くても寒くても即出席人数に
影響する様で参加者は今回もやや少なめ。とは言え以前の体育館時代
とは異なり、暖房の使えるコミセンは快適そのもので本当に助かる。何し
ろ多分一番寒さに弱いだろう俺は本当に助かっている。コミセンにしてか
らは道着の下には冬でもアンダーウェア何か着た事無いもんね。
さて、新極真会で普通に空手をやっていると、まず審査で帯色を上げて
行くことが目標になり、それと並行して各部門年代別に行われている試合
等への挑戦が主な目標になって行くのが普通だと思う。
自分達が日々稽古している手による顔面攻撃無しのフルコンタクト空手で
も当然上達のためには様々な技術の習得と並行して日々様々鍛錬が必要
な訳で、当たり前だがやることは際限なくあり本当にキリがない。
新極真会の空手はその源に松濤館流と剛柔流という空手や大東流合気
柔術、そしてムエタイの技術なども含まれている様なのだが、実は本土に
伝わる以前の元々の空手には独特の「術理」というものが存在しており、
近年フルコンタクト空手界で長年活躍した超有名選手や他の格闘技で選手
として活躍した人等が引退後そうした本来の空手の術理を学び自身の技術
の幅を広げている例がとても多い様だ。
我が道場の三瓶師範もおそらくは様々な古武道等も学ばれ、ご自身の長年
の経験等も踏まえ独自の身体操作法を編み出された一人だ。
フルコンタクト空手の鍛錬はどちらかと言うとスポーツ競技に近い形の鍛錬
が有効な場合が多いと思うが、もう一段上がるためにはこうした「術理」の
習得もやはり不可欠なのだと思う。
とある武道の有名な師範がそうした術理を踏まえながらも晩年まで武道的な
自身独自の20数種類もの鍛錬を日々欠かさなかったという話も本で読んだ
ことがあったし、ここにも過去に書いたかもしれないが・・・。
何しろ空手を続ける限り、どう転んでもいつまでたったもやることは際限なく
あるものなんだよね。
晩年大山総裁がテレビ番組出演の際の受け答えの中で「極める等ということ
は有り得ないよキミィ」と話していたことを思い出す。それはきっと本心から出た
言葉だったに違いない。
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